整体の起源
今でも、中国整体のお店では、推拿として整体行為を行っています。
また、気功整体というものもありますが、整体と東洋医学が密接なつながりがあるイメージがあるのも推拿が、中国起源だからではないかという説があります。
それから整体は各国に広がりましたが、なかなかうまく広がりませんでした。
昔は寿命が短く、戦争も多く、戦場医療が発達していました。
衛生学や予防医学の発展とともに寿命が伸び、それに比例して整体の需要が高まりました。
この整体の需要が高まった時期にカイロプラクティックとオステオパシーという二大整体法が生まれたり、野口先生という方が整体という言葉を作った時期の関係で19世紀に入って初めて整体が始まったとも言われています。
日本の整体
日本の整体の祖といわれる野口整体の野口晴哉先生は昭和に入ってから整体という言葉を作ったそうです。(一説には山田信一先生が最初に使ったという説もある)
時は昭和18年、戦争も終わり、手技療法の法制化を目的とした組織、「整体操法設立委員会」の設立に携わり、その議長を努めました。
様々な整体を集めてその共通点を見出し、標準型としての整体操法をまとめあげ、昭和22年には指導者養成のための整体操法協会を設立。
療術会で中心的役割を果たしたそうです。
こちらは、今では野口整体と呼ばれ、長年今でも野口整体を行う人がいるようです。
アメリカの整体
主にカイロプラクティックと呼ばれるものとオステオパシーと呼ばれるものがあります。
◆カイロプラクティック
もともと1895年にD.Dパーマーという男が首の矯正をしたら難聴が改善したということが始まりだそうです。
この整体法は元々大男が始めたものですから、大男の方がやりやすいテクニックが多いです。
いわゆるバキバキっと音のする整体です。
日本でもよく行われていますし、効果的ですが、当時の方法はお客様の体に負担をかけることと、術者の体にも負担がかかっていました。
そのため、改良が重ねられ、今では様々なカイロプラクティックの整体法が存在します。
日本では、派閥・分派・流派などで様々な整体法があります。
今では世界中に広がりを見せているアメリカの整体法ですが、日本では法整備が進んでおらず、様々な問題点を内包していますが、カイロプラクティックの有効性は高く、多くのお客様が利用されています。
◆オステオパシー
オステオパシーは実はカイロプラクティックよりも始まりが早く、1874年に医師アンドリュー・テイラー・スティルによって創始されました。
日本では、このオステオパシーとカイロプラクティック、そして今は失われた手技であるスポンディロセラピーを合わせてアメリカ三大整体術と呼んだそうです。
この創始者のスティル先生は従軍医師をしていました。
そんな中自分の息子や養子が次々と髄膜炎でなくなったそうです。
彼は自分の無力さに嘆き、それから10年間研究を重ね1874年にオステオパシーを創設したそうです。
最初の頃はカイロプラクティックと同じような直接法と呼ばれる手法がメインでしたが、徐々に間接法と呼ばれるソフトな手技が発達していきます。
その結果、触れてるのか触れてないのかわからないような手技が多いです。
スティルのテクニックの中には、我々も繊細なテクニックだなぁと思うものもあります。
カイロプラクティックと比べると、オステオパシーの方が閉鎖されたテクニックというイメージがあります。
アメリカでは、D.C(ドクターオブカイロプラクティック)、D.O(ドクターオブオステオパシー)は西洋医学と同様の医師免許(M.D)となっています。